アメフトとサッカー、どこが分岐点だったのか⑦アマチュアスポーツのセミプロ化と国際化(3)

 ラクビーは当時、ドラマ『スクールウォーズ』と早明戦ブーム、大東文化大のトンガ留学生による隆盛などで国内でも突出した人気を誇っていました。
※但し関西はこの頃「京大旋風」でアメフトが盛り上がっていましたので、この事を別次元と捉えているようですが、少なくとも同志社が衰退した事で関西ラグビー熱はアメフトに取られたと思っています。

ところが、これもNHKが独占放映権を取ったラグビーW杯の予選プール。秩父宮でウェールズとの接戦で自信を付けていた(というかそこから進歩していなかった)日本は、新日鉄釜石とか神戸製鋼か東芝といった社会視線強豪を軸にチームを構成した物の、全3試合で圧倒的大敗を喫してしまうのです。
※ただし注意しとくと、少なくとも前2回も大敗していて、第2回で1勝しただけであったのですが、そういった事は全く報道されませんでした。

そもそもラグビーはブリテン島対抗(イングランド・スコットランド・ウェールズ・アイルランド4協会)とフランスを加えた「5ヶ国対抗」(現在はそこにイタリアが加わって6ヶ国対抗になっている)を中心とするグループと、南太平洋+南アフリカのグループに別れていた訳です。

これを統合して世界一を決めるという動きが出てきたのがW杯で、他の競技に比較して歴史が浅い大会だったのですが(この第3回の南アフリカ大会は、アパルトヘイトの廃止と人種宥和政策によって全てのスポーツが国際社会復帰に至った最初の大会だったのです)、あのすさまじき決勝を見てしまうと冷めるよね、という事で一気に人気が下降線をたどったのです。
いや実際あの翌年から早明戦見にいかない風潮が駿河台キャンパスで広がったものね。

その頃頼みのバレーボールもキューバやブラジルのパワー系の台頭で日本が全く勝てなくなったので人気が低迷。国際大会の引き受け手がないので毎大会日本で開催するも、とにかく実績作りの為にジャニーズの若手をハーフタイムに起用するといった奇策(最初は忍者-今の少年忍者ではない-から始まり、V6なんてこの大会用にデビューした訳ですから)に出るしか無かった訳です。

こうして国際化の流れの中で次第に後れを取るようになった事で、スポーツへの興味が薄れていく事になったのは事実です。

だけれども、大きな大会は客が入るので、そこに目を奪われがちになって「そんなこたあないよね」と感じてしまう事になるのです。

でも実際は、主催者や協賛企業が「失敗したと思われたくない」からチケットばらまいた結果が動員人数としてカウントされていただけ、という事も忘れてはならないのです。

Jリーグが成功したことでプロ化の流れが色々な競技で拙速に始まりますが、準備期間と熱量に差がありすぎてほぼ頓挫しています。その最たる物が女子バレーのVリーグ。会長近辺はもの凄く乗り気だったにも関わらず会長の出身企業である日立がそっぽ向いたことで頓挫。そこにバブル崩壊が追い打ちをかけてユニチカの撤退などリーグが崩壊しかけてしまったほどです(チーム数は大分三好が参加したことで維持出来たが、大分三好の経営も一時期危ぶまれた事がある)。

バスケは所沢・東松山に拠点のあったアンフィニ東京(マツダの高級車販売チャンネル)が販売網再編の際にチーム撤退をし、地元がクラブチーム化した時のJBLの対応が「実業団じゃ無いとダメ」という理由で、後に特例として2部まで加盟して良いことにしたけれど昇格が出来ないという事になり、後のbjリーグへの分裂の発端となっています。

アイスホッケーは長野五輪まではなんとか回っていた物の同系列企業で会った国土計画と西武鉄道が合併、雪印乳業が食品偽装等のトラブルで経営危機になり廃部、とズルズル運営が厳しくなりました。※2019年以降日本製紙と王子製紙もクラブチーム化となりました。

それと同時に国際的なスポーツのプロ化が進むことになります。ラグビーのプロ化が認められたことで「グロンサン」のコマーシャルでオールブラックスがハカを披露したのはその流れです。
バレーボールとバスケットボールはイタリアでプロリーグが始まり、その結果オリンピックのバスケで学生主体のアメリカがメダルを取れなかったという事態になり、後の「ドリームチーム」結成に繋がります。

こういった潮流にもう一つ社会的要素が加わったことで国民の嗜好が変化していきます。
すなわちバブル景気です。

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